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  • 執筆者の写真S.Ninomiya

消費とデザイン


毎年4月になるとミラノサローネという世界最大の家具の見本市が催されます。場所は勿論イタリアのミラノ。


そして、この時期になると色んな人が色んなところで、このミラノサローネに行った報告会を行います。

僕自身はそのウチ行かなければと思いながら、未だ行った事がありません、ミラノサローネ。

だから、少しでも色んな知識を深めようと、出来るだけ報告会に参加するようにしています。

過日はそんな報告会を二軒ハシゴ。

今年は2年に一度の「ユーロクッチーナ」というキッチンの見本市も催されたらしく、新しいトレンドのキッチンが紹介されていました。

これまでのキッチンは「隠す」事が主流でしたが、これからは「隠さない」事がトレンドになるそうです。

なんと、日本の某キッチンメーカーからは透明なキッチンも発売されるそうです。

家具の方にもトピックがありました。

大城健作さんというイタリアで修行した日本人の家具デザイナーがデビューし注目を集めているそうです。

デザインしている家具も美しく格好良いです。

日本人が世界で活躍するのは素直に嬉しいです。頑張れ〜!

ミラノサローネでは毎年新しいデザインや新しいトレンドが紹介され、それが世界中に発信されて、デザインで消費者を刺激し経済を動かしているわけです。

毎年毎年新しいデザインやトレンドが発表されるのは、とても楽しいし刺激的。デザインが好きな人達にとっては毎年毎年楽しみがやってくるので幸せな事なのでしょう。

だけど、毎年毎年新しいデザインやトレンドが発信されるので、前の年に発表されたデザインやトレンドは流行遅れになる。

それに、毎年毎年本質的な部分で画期的なデザインが発明されるわけではないので、毎年毎年発表される「新しい」デザインといっても、殆どが何処かで見た事のあるデザインであったり、これまで有ったものの色や素材を変えたものであったり、斬新ではあるけど奇抜過ぎて実用性に著しく欠けたものであったりしている。

そもそも、例えば革新的なデザインの椅子など10年に一つ…いや30年に一つデザインが生み出せれば良い方で、あとはそこで生み出された革新的な要素のバリエーションに過ぎない。

そもそも、使う側の人類が毎年毎年進化するわけではないし、人類の長い長い歴史の中で殆どの椅子は考え尽され尽きている。

それを毎年毎年、手を変え品を変え、新しいように見えるものを考えなければならない「デザイナー」という仕事も過酷だと同情してしまう。

なんだか書きたかった事から逸れ出したので元に戻します。

繰り返しになりますが、毎年毎年新しいデザインやトレンドが発信されるのは、とても楽しいし刺激的な事です。

ただ、消費者の立場に立つとこれは「たまったもんではない」という見方もできます。

なぜなら、去年は「格好良くて最先端のデザイン」だったものが、途端に古くなり流行遅れになる…いや、されてしまうのです。

洋服なら毎年とはいかないまでも、数年ごとに新しくその時々の流行のものに買い替える事は、まだ容易な事です。

しかし、家具やキッチンはそうはいかない。

せめて10年…いや、2~30年は色あせて見えないようなデザインでないとダメだと思うのです。毎年毎年、追い立てられるように消費を促される事に抵抗感も感じるわけです。

そういえば、以前のコラム「9番目の芸術」で、フランスにおける芸術の序列が第1から順に「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学(詩)」「演劇」「映画」「メディア芸術」そしてそれに「漫画」が加わった事を書きました。

つまり、デザインは「芸術」ではなく「消費」であり「経済」なのです。

そういう事をあらためて感じさせられたのでありました。


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