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  • 執筆者の写真S.Ninomiya

不思議のパリ建築



フランス/パリを代表する建築といえば何を連想するだろうか。『エッフェル塔』『サクレ・クール寺院』『凱旋門』『ルーヴル・ピラミッド』『ムーランルージュ』など、他にもパリのアイコンとして機能するレベルの建築は沢山あるだろ。それほどこれらの建築がパリに馴染んでいてパリを象徴している事の表れでもある。

そしてまた、これらの建築の多くが建築当初はパリ市民から「パリに似合わない」との猛反発を受けていた経緯も当時のエピソードとして有名。

建築当初は批判的だったパリ市民も時間の経過と共にその建築を受け入れ、愛着を抱くようになり、今では大切にされている…というストーリーだ。

だけどこれ、「ホントかな~?」と思うのである。


今や『ルーヴル美術館』といえばこの『ルーヴル・ピラミッド』。1989年に竣工したこのガラスのピラミッドは中国系アメリカ人の建築家 イオ・ミン・ペイの設計。形態も素材も建築家も、既存の『ルーブル美術館』の歴史とあまりにもかけ離れている為、建築当初の猛反発は容易に想像できるが、今となってはこのピラミッド無しのルーヴル美術館など考えられないのではなだろうか。

なぜなら、実際にパリを訪れると率直にそれらの建築はパリに馴染んでいると思うし、それらが無ければパリでは無いと思うだろうし、それらが無ければ物足らなく思えて仕方がないのではないか....から。

勿論、建築当初は皆が肯定派であったわけではなく反対派もいたであろう事は容易に理解出来る。しかし、その比率は伝えられるエピソードから受ける印象よりも遥かに少なく、殆どは肯定派で歓迎していたのではないだろうか。


僕たち東洋人からみると一見違和感が無いように見える『サクレ・クール寺院』も、イスラム風の様式が取り入れられていた為に猛反発を受けたらしい。確かにパリの街並みの延長線上として捉えると違和感のある佇まい。しかし、この建築も今やパリのアイコン的建築であり、モンマルトルの丘からこの建築が無い姿など想像できないだろう。

確かに、中には建築当初はギョっとしたに違いないと容易に想像されるような建築もあるのは事実だ。


『ポンピドゥーセンター』は美術館や図書館などが入る複合施設で1977年に開館した。設計は関西国際空港の設計も手掛けたイタリア人建築家のレンゾ・ピアノとイギリス人建築家のリチャード・ロジャース。内部空間のフレキシビリティーを重視して、構造体や設備配管が外部にむき出しとなったこの建築は、建築当初パリの人達だけではなく世界中の人達をギョッとさせた。しかし、これの建築も今やパリの重要なアイコンであり観光名所となっている。

新しいモノに対しての人々の最初の反応が時間の経過により変化する事は建築に限らない。例えば「郷ひろみ」のデビュー当時は変な声の歌手が出てきたと思ってが…慣れてしまえば最初の違和感は薄れ、やがて無くなった。

きっとこの反対派のストーリーは、既存のパリの街並みが変化する事を嫌う(恐れる)パリ市民の「パリ愛」の表れを誇張したのもではないかと、ちょっと深読みしてしまうたくなる。

そして、一見不釣り合いに見える建築も受け入れ融合させてしまう寛容さが、パリという街の不思議な魅力を構成している重要な要素なのではないかと感じた。


建設時における猛反発を受けた建築の代表格と言えば、なんといってもこの『エッフェル塔』だろう。建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出するなど散々だったようだ。元々はフランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建てられたものであり、1909年には解体する事になったらしいが、その後、軍事用の無線電波をエッフェル塔で送受信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っているとの事。パリの街の何処からでも見える『エッフェル塔』は、今や国防上だけでなく、パリの景観の重要なアイコンでもあるしパリの景観そのものではないだろうか。


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