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  • 執筆者の写真S.Ninomiya

ちょいダサ考


先日プロダクトデザイナーと某美術館のキュレーターの方と酒席を交える機会がありました。話題は自然とデザインの話へと展開。 某有名家電のデザインを手掛けるプロデクトデザイナーに「なんで日本の家電はあんなにダサいの?」と質問すると、「実はちょっとダサい方が良く売れるんです」というお返事。続けてキュレーターの方も「そうそう、展覧会のポスターなども、あまり洗練されたものよりちょっとダサい方が食いつきが良いのよね~」と重ねて来た。 想定外の回答にちょっとドギマギしながらも、そういえば我が建築家業界も「ちょっとダサいよな~」と思う建築を作る人の方が、びっくりするほど沢山仕事量を抱えてたりする。実際、ちょっとダサい方が受けるのだという確信を持った。名付けて「ちょいダサ」。 なぜ「ちょいダサ」の方が受けるのか?安易な想像だけれども、ひとつは「親しみやすさ」が考えられる。あんまり洗練され過ぎていると自分との距離が有り過ぎて手を出し難いのだろう。かといってダサダサなものには手を出したくないので、消去法で「ちょいダサ」に手を出すのではないかと。 次に、洗練されている物の中には、有る程度後天的な学習をしないとその良さが分かりにくいものがある。焼き物やヴャイオリンなどはその良い例だと思うが、素人には値打ちのある物とそうでない物の違いが分かり難い。良さを理解するには後天的な学習が必要なのだ。つまり玄人好みと言われる部類のもの。コアなファンはいるけど絶対数は少ない。すなわちビジネスとしては成り立ちにくい。ビジネスを前提とした場合、当然絶対数の多い方にボールを投げる傾向が強いわけで、結果、ちょっとダサいものが世の中に溢れるわけだ。 なんか、うすうす感づいてはいたけれど、やっぱりそうだったかと確信した「ちょいダサ」論。ダサいものは作りたくないけど、いつかはお金持ちになりたいから、ちょっとは参考にしてみようかな。

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