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執筆者の写真S.Ninomiya

ミラノ・ヴェローナ・コモ旅行記 その6


私達の設計した「堺の家5」がA`Design Award(イタリア)のGood Spatial Design部門において金賞を受賞しました。

さる6月29日にイタリア/コモでその授賞式があり出席してきました。折角イタリアまで行くのに、コモの訪問だけでは勿体なないと思い、ミラノやヴェローナも視察してきました。

今回から数回に分けて、2018年6月25~7月2日に訪れたイタリア視察の様子をご紹介したいと思います。

「ミラノ・ヴェローナ・コモ 旅行記 その6」2018年6月27日


午前中のオプショナルツアーを終え、再びドゥオモ広場に戻ってきました。午前中に比べ、かなり観光客も増えています。

お昼時なので何か食べたいのですが、この典型的な観光地でバカ高いだけの美味しくないランチを食べるのも嫌だし、そもそも暑さと時差ボケで食欲は全く無し。でも、旅は体力なので何か口に入れなければという使命感だけはある。


そんな思いを抱きながら、とりあえず日陰のあるガレッリアに避難。


今朝も通ったガレッリアをランチ探してウロウロします。

「SPONTINI」


そして、辿り着いたのが切り売りピザのお店「SPONTINI」ドゥオモ店。実は、日本で事前に調べていました。折角イタリアまでいくので一回くらいはピザ食べたい。でも、一人でピザ一枚食べれるほどピザ好きでもない…という僕の思いにぴったりなのがこの切り売りピザの「SPONTINI」だったのです。

因みに、東京にも支店があるらしいのですが、そんな事は気にしません。台湾で有名な「デイタイフォン」も日本にありますが、台湾のそれと日本のそれでは味が違ったし、きっと本場の「SPONTINI」も日本のとは違うハズ!


流石にお昼時なので店は混雑していましたが、こればっかりは仕方ないので列に並んでオーダーを待ちます。ほどなくして順番が来たので指差しと適当英語で無事にオーダー。混んでいるといっても、持ち帰る人も多くて席(立ち食い)もなんとか確保できました。お一人様だとこんな時に便利。


で、注文したのがこのマルゲリータ。お店の人がフォークをこんなふうに刺して渡してくれました。マルゲリータという割にはバジルが乗ってないな…と思いましたが、まぁ、そんな事は気にしません。なかなか美味しそう。

で、いざ実食。タップリのチーズと厚手のパン生地の間にトマトソースが隠れています。パン生地は上はフワフワしているけど下はザクザクとしていて、ちょっと不思議な食感。お味は…まぁ美味しかったかな。ご馳走様でした。

昼食も終え、次の目的地スフォルツェスコ城に向かう前に、ちょっとドゥオモ周辺をウロウロしてみます。


ドゥオモの側面。


公衆電話。


ドゥオモの街灯。例の吊り下げ式のやつでした。


ドゥオモからドゥオモ広場を見返しています。広い!暑い!

飽きてきたので、次の目的地スフォルツェスコ城に向かう事にします。地下鉄に乗っても一駅ほどなので、暑いですが頑張って歩く事にしました。


一路、スフォルツェスコ城に向けてダンテ通りを進みます。真正面に見えているのがスフォルツェスコ城。


ドゥオモ側を見返すと、もう視界から消えていました。


歩道にはレストランのテラス席が設けられています。欧州の人は、ほんとテラス席好きですよね。埃っぽいとか暑いとか思わないのだろうか。


コーナーのデザインが印象的だった名もなき建築物。


ここにもテラス席が。ここはワインが売りのお店のようです。


そうこうしているうちにスフォルツェスコ城に到着。

「スフォルツェスコ城」


スフォルツェスコ城前にあるカステッロ広場の噴水。


噴水を見ながらベンチに腰かけて休憩。足元に鳩。

スフォルツェスコ城とは「1450年にミラノ公爵のフランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して城塞とした。その後、16世紀から17世紀にかけて改装・増築され、ヨーロッパでも有数の規模の城塞となった。1796年この地を征服したナポレオンによって一部の施設が破壊されたが、1891年から1905年にかけて、建築家ルカ・ベルトラミらによって修復された。」(ウイキペディアより)。

現在は美術館にコンバージョンされ、一般に公開されています。


両サイドにはこんな感じの円筒形の建築物、城塞だった頃は見張る為の物見塔だったのでしょうね。


欧州の観光地でよく見かける大道芸人の風景。そして、演目もなぜか「ホテル・カリフォルニア」率が高い。ローマのパンテオン前で演奏されていたのも「ホテル・カリフォルニア」だったけど、なぜか雰囲気が合うから不思議。

そして、背景にあるポスターに注目。そう、このスフォルツェスコ城にはミケランジェロの遺作といわれる「ロンダーニのピエタ」があるのです。


しかも、ミケランジェロだけでなくレオナルド・ダ・ヴィンチの天井画もある。ミラノに来てここを訪れないわけにはいきません。


で、いざ入場(入城)。


新型のアトラクションの告知でしょうか、場所が場所だけに臨場感があります。


入場券を払って館内に入ります。


きっと、貴重な美術品が沢山飾られているのだとおもいますが、歩き疲れと暑さで体力も限界です。目的のものを探してサクサクと進みます。

「ロンダーニのピエタ」


すると、突然現れました「ロンダーニのピエタ」です。


同じミケランジェロ作の「ピエタ」でも、サンピエトロ大聖堂でみた「ピエタ」とは全く違います。


「サンピエトロのピエタ」はミケランジェロが24~5歳の頃の作、この「ロンダーニのピエタ」は88歳で死の6日前まで手を入れ続けた作品。未完成の状態ではあるけれど作風の変化は明らか。その差64年の人生経験がこの作風の変化を生じさせてのかもしれません。


一見、マリア様がキリストを抱えているのではなく、キリストがマリア様を背負っているように見えるのですが、よくよく見ると、マリア様がキリストを引き起こしているようにも見えます。

さて、次はダヴィンチの天井画を探します。


ダヴィンチの天井がを探して城内をウロウロします。


重い足をひきずって頑張って二階にもあがってみます。

……が、無い、どこを探しても見つからない。

仕方ないので警備の人に聞いてみると「ダヴィンチはクローズだ」との事。クローズの理由は分かりませんでしたが、クローズなのであれば仕方がない。諦めてホテルに帰る事にします。

最寄り駅の「Cairoli Castello」から地下鉄に乗って、ホテルのある「Milano Centrale」(ミラノ中央駅)まで戻ります。


ミラノ中央駅構内にあるカフェ。皆、大きな荷物を携えているので今から何処か遠くへ行くのでしょうね。

そういえば、せっかくイタリアに来たのにまだアレを食べていませんでした。アレを探して駅構内をウロウロしてみます。


すると、やっぱりありました、アレです。


ジェラートです!


チョコとピスタッチオにしました。疲れた体に冷たくて甘いジェラートが染み込む様に入って行きます。ご馳走様でした。


さて、ホテルに帰りましょう。この時点で18:30くらい。めちゃくちゃ明るい。この時期のミラノの日没は21:30くらい。時差ボケに加え、この日照時間の差もなんだか調子を狂わせます。


ホテルに帰って一休み。

テレビでW杯を観ながらゴロゴロしていたら、ちょっと元気が戻ってきたので食事に出かける事にしました。

今夜は海外旅行では必ず和食を食べに行きます。旅先ではできるだけ現地のものを…とは思うのですが、旅は体力勝負です。体調管理に食事は重要な要素なので、食べなれた和食で体力をリセットするわけです。

事前の調べでは、ミラノにも結構和食やさんがありました。でも、他の欧州の和食同様なんちゃって和食も多いので、日本人による日本人の為の和食屋を探します。すると、滞在先のホテル近くにあるではありませんか、日本人のやっている和食屋さんが。評判も悪くなさそうなので、今夜はその店で食べる事にしました。


ホテルを出て、目指す和食屋さんに向かいます。これで80:30頃、まだまだ明るい。


目指した和食屋さんは「Tomoyoshi ENDO(友よし えんどう)」さん。


こんな感じのビル1階の共有部分の奥まったところにあって、場所がちょっと分かりにくかったのですが、グーグルマップを頼りに探せばすぐに見つかりました。表通りには看板も出ています。

そして、入店。

年配の日本人女性が日本語で迎えてくれました。席にとおされメニューを見ながら店内を見渡すと、厨房は日本人と現地の方の混成。オーダー係は日本人ばかり…かと思いましたが、日本語が分からない人もいたようなので、見た目日本人だけどイタリアで生まれた2世とか3世、もしくは中国人や韓国人なのかもしれません。

客層は、僕がいた時は殆ど日本人。店内は日本語が飛び交っていました。


勿論、日本のビールもあります。つきだしは…ちょっと食べた事のない感じ。ひょっとしたら大将の日本の出身地ではポピュラーなものかもしれません。


で、しばらくするとオーダーしたにぎり鮨が来ました。見た目は日本のにぎりず鮨と変わりません。味も遜色有りませんでした。


食事を終え、表通り側ではなく裏通り側から表に出ました。裏通りがわにもこんな看板が出ていました。外はまだ明るい。

明日は、ミラノの現代建築を観て回る予定なので、さっさとホテルに戻って寝る事にします。

今日はっここまで。

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