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  • 執筆者の写真S.Ninomiya

ミラノ・ヴェローナ・コモ旅行記 その5


私達の設計した「堺の家5」がA`Design Award(イタリア)のGood Spatial Design部門において金賞を受賞しました。

さる6月29日にイタリア/コモでその授賞式があり出席してきました。折角イタリアまで行くのに、コモの訪問だけでは勿体なないと思い、ミラノやヴェローナも視察してきました。

今回から数回に分けて、2018年6月25~7月2日に訪れたイタリア視察の様子をご紹介したいと思います。

「ミラノ・ヴェローナ・コモ 旅行記 その5」2018年6月27日

日帰りでのヴェローナ編を終え、今回からはミラノ編。

ミラノ編の初日は現地のオプショナルツアーを利用して、「ドゥオモ」→「ヴェットリオ・エマヌエレ二世のアーケード(ガッレリア)」→「スカラ座」→「最後の晩餐」…と巡ります。

目玉はやっぱり「最後の晩餐」。「最後の晩餐」は完全予約制で約25人を1グループとし、15分交代で見学する仕組みになっています。予約は約2ヶ月前から可能で、専用の予約サイトで個人的に手配するか、手数料は必要になりますが、「最後の晩餐」見学が組み込まれたオプショナルツアーを利用する事になると思います。

見学の予約は直ぐに一杯になるとの事だったので、僕は2ヶ月前にオプショナルツアー経由で予約しました。

オプショナルツアーの最初は、ドゥオモ前にある旅行社に9:15に集合する事から始まります。宿泊していたミラノ中央駅からドゥオモまでは地下鉄で15分程なのですが、遅刻しないよう30分前にはホテルを出ました。


ホテルから地下鉄の駅までの道すがらの風景。緑が生い茂り路面電車が走っています。

「スリ被害にあいそうになる!」

地下鉄に乗ってドゥオモまで向かうのですが、時間帯的には通勤ラッシュ。ミラノの地下鉄はスリが多いとの事だったので、ワンショルダーのバッグを胸の前に回し用心していたのですが…やられました、いや、正確にはやられかけました。人生で初めてスリ被害にあいそうになりました。

参考の為に経緯を説明すると、通勤ラッシュの為、電車内の座席シートのある方には進めず、出入口付近にポールにつかまり立っていました。すると、体を密着させるようにポジション取りするオバサンがいます。満員電車の中なので、それほど不自然な感じはしませんでした。次の駅で更に乗客が増えたので、少し場所を移動し違うポールにつかまりました。

すると、そのオバサンも同じようについてきます。若干不自然な感じもしましたが、ワンショルダーのバッグを胸元側に抱きかかえているし、それほど気にもせず視線は車内の電光掲示板で次の駅を確認していました。で、ふと視線を胸元のバッグに落とすと、なんと僕の手ではない手がバッグ上部のファスナーを開け、今にも財布を抜き取ろうとしているではありませんか!

慌ててその手を叩き落とすと、その手はススっとオバサンの方へ。不自然なポジション取りをしていたオバサンは、やっぱりスリだったのです。

よくよく見ると、スリのオバサンは自分の手の動きが分からないように黒い前掛けのようなものを身に着けていました。この黒い前掛けの中で蛇のように腕を伸ばしてきていたのです。

容姿は小太りで小柄、黒髪で人種的には所謂ラマといわれるジプシーだと思います。小綺麗な服装をしているし、いわゆる浮浪者独特の悪臭もしませんでした。

スリのオバサンはサンダル履きだったので、足を踏んづけてやろうかとも思いましたが、ミラノのスリはカッターナイフでバッグを切るとも聞いていましたし、周囲に仲間がいる可能性もあるので、旅先で面倒な事になるのも嫌なのでとりあえずスリのオバサンを睨みつけます。スリのオバサンも、満員電車の中では逃げようもないので気まずそうな顔をしています。

そうこうしているうちに次の駅に着き、スリのオバサンは文字通り逃げるように下車していきました。下車する際、僕の後ろにいた背の高いオジサンとアイコンタクトを取っていたので、このオジサンと二人組のスリだったのです。オジサンは金髪で細身、イタリア人のようでした。

多分、地下鉄のチケットを買うあたりからバッグと財布の位置を見られていたのだと思います。欧州の大都市はスリが多いのは常識なので、十分に注意していたつもりだったのですが…この有様です。多分「満員電車」というのが最大のポイントだったのだと思います。皆さんもお気を付けください。


さて、そんなこんなでドゥオモに到着です。デカい!…とは思ったけど、事前情報で沢山の人「思ったよりデカい」がというコメントが多く、そのせいか、思ったほどデカくないというのが正直な印象。


集合時間までにはまだ少し時間があるので、ドゥオモ周辺をブラブラしました。ここらミラノの目抜き通りとなる「オレフィチ通り」。ここも路面電車が走っています。


裏通りで見かけたガラスの屋外階段。斬新なデザインだとは思いましたが汚れてドロドロ。


再びドゥオモ広場の方に戻ってくると、機関銃を抱えた兵隊さんが警備をしている背後に。


背後を取られた事に気付かない兵隊さん。

そうこうしているうちに集合時間となり、オプショナルツアーのスタート。参加者は僕を含め4名。こじんまりとした丁度良い規模の人数です。

「ドゥオモ」


まずはドゥオモから。これはドゥオモ正面の大扉。セキュリティーチェックを受けて入場します。


ドゥオモ内部。


このツアーのガイドさん。物凄いマシンガントーク、知識も豊富でお話も上手。色んな国で色んなオプショナルツアーに参加しましたが、このガイドさんが一番良いと思いました。


皮剥ぎの刑で殉職した聖バルトロマイの彫刻。キリスト教って、聖人といわれる人が死ぬとその体をバラバラにして系列の教会のご神体にしたりするし、現代人の感覚からするとちょっとグロい印象。


見事な祭壇。正直なところ、欧州に来るたびに色んな教会を観ているので、ドゥオモもそれほどの感動はなかったのだけど、この祭壇部分だけは見ごたえあるな~と思いました。

ドゥオモを出て、ヴェットリオ・エマヌエレ二世のアーケード…所謂ガッレリアに向かいます。

「ガッレリア」


このガッレリアは、東京ディズニーランドのエントランスのモデルとなった事でも有名らしいのですが、まあ、あんまり興味無し。


入り口付近にはカンパリの発祥の地と言われるバルがあるのですが、これも殆ど興味無し。


ガッレリア中心部に、急所にかかとを当てて三回転するとまたミラノに来れると言われる牛のレリーフ。こちらも興味無しだったのだけど、ガイドさんの折角だからという押しと、面白半分でやってみたら目が回った。

ガッレリアを抜けてレオナルド・ダ・ヴィンチ像の横を通りスカラ座へ。ダヴィンチ像はもっとゆっくり見たかったけど、ツアー終了後にまた来れば良いかと思い、そそくさとスカラ座へ。

「スカラ座」

「スカラ座」というのは、焼失してしまったテアトロ・ドゥカーレの二代目となるオペラ劇場。日本にも「スカラ座」という名前の劇場や映画館が沢山ありますが、ここが本家本元。

残念ながら外観は撮り忘れ。


スカラ座内部。


真正面のバルコニー席。ここはきっと凄いお金持ちが座る席。


天井のシャンデリア。


ホワイエ。

正直な印象としては、パリのオペラ座(ガルニエ宮)の方が10倍凄いと思いました。


オペラで有名なマリオ・ロッシに関する常設展示もありましたが…残念ながら興味無し。

スカラ座を後にして、いよいよ「最後の晩餐」に向かいます。

「最後の晩餐」


「最後の晩餐」はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にあります。しかも、描かれているのはその修道院の食堂。左手の白っぽい建物がその食堂になります。



修道院内部。


予約の時間がくるまで、修道院内部を見学しながら時間調整します。

そして、いよいよ予約の時間が来ました。


入場すると、皆真っ先に壁画の前に駆け寄ります。が、僕はそうせずに、まず一番離れた場所に陣取りました。これはガイドさんからの、最も離れた場所から見ることでダ・ヴィンチの意図した遠近法を使った構図が分かるから…というアドバイスに従ったものです。

すると、なるほど遠近法で奥行を持たせた構図の効果が良く分かります。


ちょっと近付いてみます。因みに、フラッシュを使わなければ写真は撮り放題です。


更に近付きます。正確な遠近法を駆使して描かれていますが、実はより立体感を増すためにデフォルメされている部分があります。それがテーブル。

実はこのテーブル、左右が下がり中心部が上がるように緩やかにカーブして描かれています。また、テーブル上に置かれたものが見えやすいように、天板が僅かに前側に傾斜して描かれています。因みに、これもガイドさんの受け売り。


一番前まで近づきます。

「最後の晩餐」はテンペラ画という技法で描かれています。通常、このような壁画はフレスコ画という技法が用いられます。フレスコ画の方が、テンペラ画に比べ劣化し難いからです。しかし、フレスコ画はテンペラ画に比べ、描く際の制約が多く、特に描くのにスピードが必要な事と、書き直しが出来ない点がダ・ヴィンチには不向きだった為、テンペラ画を選択したのではないかと思います。

現在僕たちが目にする事ができる「最後の晩餐」は修復されたものです。色の鮮やかさこそあれ、輪郭はボケボケ。これは、テンペラ画ゆえの事だと思われます。

そもそも、この壁画は修道院内部ではなく、併設された食堂に描かれたものです。きっと、修道僧の皆さんが、食事時にイエス様と一緒に食事している雰囲気を味わえたり、食事をしながらも聖書にかかれた出来事を話題にできるよう描かれたもので、ダ・ヴィンチもリラックスして描いたのかもしれません。

ただ、リラックスしていたとはいえ、そこは天才ダ・ヴィンチ。遠近法やスフマート技法を駆使して凝りに凝った仕上がりとなったのだと思います。


壁画はこんな感じでライトアップされていました。

ところで、ダン・ブラウンによる著書「ダ・ヴィンチ・コード」では、いかにもダ・ヴィンチがキリストの秘密を知っていて、その秘密のヒントがこの壁画の中に込められている…という描き方をしていますが、ダ・ヴィンチは今から500年前に生きた人であり、キリストが生きた時代はダ・ヴィンチが生きた時代の1500年前です。だから、時間の経過的にみても、ダ・ヴィンチがキリストの秘密など知っとるわけありません。「ダ・ヴィンチ・コード」がただの作り話である事がよ~く分かりました。

そうこうしているうちに15分が経過し、外に出るように即されます。

再びドゥオモ広場に移動して、このツアーは終了。皆さんお疲れさまでした。

今日はここまで。

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