
僕たち「一級建築士事務所エヌアールエム」は、この9月を持って事務所開設20周年を迎えました。
これまでに設計をご依頼頂いたお施主様、施工して頂いた工務店さん、構造や照明、その他各種設備設計にご協力頂いたエンジニアの方々、そして共に設計監理に協力して頂いたスタッフ達のおかげです。
この場を借りてあらためて感謝とお礼を申し上げます。
それにしても、よく20年もやってこれたと思います。そもそも、僕たちの「一級建築士事務所エヌアールエム」は、仕事があって独立したわけではありません。
バブル崩壊のあおりやその他諸々の事情により、当時、僕の勤めていた設計事務所が倒産。結婚した直後だったし、世の中は不況の真っただ中、いつかは独立したいと思っていたものの、今はその時期ではないと思い次の就職先を探していました。
しかし、不況真っただ中のご時世では求人そのものが少ないし、あっても自分のやりたい方向性とは違ったり、欲しいだけのサラリーにはほど遠かったりと、なかなか再就職先が決まらない。
そんな状態でプラプラしていると、某ゼネコン設計部に勤める大学の同級生から下請けの仕事でけど手伝わないか?とのお誘い。
現在はCADを使って図面を描くのが当たり前ですが、当時はごく限られたひとしかCADを使えず、ゼネコン設計部などでは設計者とは別にCADオペレーターといわれる職種の人を雇用したり、CADの使える設計事務所に作図を外注するスタイルが一般的でした。
そして、僕は最後に勤めていた設計事務所が日建設計の外注も受けていた事からCADが使えました。設計も出来てCADも使えるという人材は、当時まだ珍しかったのです。「芸は身を助く」とはこの事です。
話を聞くと、流石CAD使いの少ない当時の事、なかなかの好条件だったので二つ返事で快諾。1年ほどはその某ゼネコン設計部に出入りしながら下請け仕事をしていました。
しかし、そうこうしている内に予定していた下請けの仕事の設計も終わり、またCAD使いも増え、某ゼネコン設計部ではお払い箱に。
またプラプラ生活に逆戻り。たまに下請け仕事もありましたが、単価は下がる一方だし内容もレベルが低く、いや、酷くなってきて、それでも仕方なく請け年ほどは負っていたのですが、とうとうそんな仕事さえもなくなってしまいました。
またまたプラプラ生活の再開。
あんまりにもプラプラしている僕を不憫に思ったのか「どっか旅行にでも行って来たら?」と奥さん(諸留)。旅行費用も出してくれるというので、お言葉に甘えて当時あこがれていた「ハリウッド&ラスベガス」の一人旅に旅立ったのでであります。
で、帰国した直後、知人のインテリアデザイナーから「別荘の設計依頼が来ているんだけど、僕はインテリアの設計しか出来ないから建築を二宮君が設計しませんか?」とのお誘い。
「やります!やります!有難うございます!」と引き受けたのが、僕たちの最初の仕事となる「Villa Mare」。
そして、この「Villa Mare」の設計を受注する為に正式に事務所登録したのが1987年の9月、この日から僕たちの「一級建築士事務所エヌアールエム」がスタートしました。
その後は、なんとかかんとか首の皮一枚で仕事が繋がり、あれよあれよと20年が経過していたのでありました。
事務所設立の経緯がこんな感じなので、他の建築家の方々のように大きなる野望があったりするわけでもなく、事務所の規模を拡張するわけでもなく、好きな建築の仕事で、設計をご依頼頂いたお施主様のご期待に応える事ができれば、それで十分。細々とコツコツと仕事ができれば、それで十分。
これから21年目に突入するわけですが、これからもそんなスタンスで頑張って行こうと思うのです。
今後とも宜しくお願い申し上げます。