S.Ninomiya
聴竹居の疑問

京都の大山崎に「聴竹居」という住宅があります。設計は建築家の藤井厚二(1888年~1938年)で、「聴竹居」は藤井厚二が40歳になる1928年、いまから90年前に自ら住まう実験住宅の自邸として竣工しています。
この「聴竹居」の特徴は、「真に日本の気候・風土にあった日本人の身体に適した住宅」を追い求めた藤井厚二の研究と実践の集大成というわれている建築です。
因みに藤井厚二は大山崎の土地に12000坪の土地を購入し、「聴竹居」に至るまでに自邸としての実験住宅を4件建てていて、この「聴竹居」は5件目の自邸。ご実家が大変なお金持ちだったようです。
なるほど、この「聴竹居」は先に述べた「真に日本の…」を実践すべく、自然の力を利用し、様々な創意工夫が試された素晴らしい自然志向の建築となっています。例えば、現在のようにルームエアコンなどを使わなくても、夏に快適に過ごせるような工夫もその一つです。
それらの創意工夫は、電気やガスを使用する事が基本になっている現在の家づくりに慣れてしまった僕たちからすれば、実に新鮮で見習うべき事の多い建築で、特に自然志向の建築を目指す人たちには強い影響を与えています。

しかし、一点だけ疑問があるのです。
それは、当時まだ日本にはなく非常に高価であった「電気冷蔵庫」を、わざわざ何か月もかけて欧州から輸入したというエピソードです。
あれだけ自然の力を利用して創意工夫を凝らした「聴竹居」なのに、冷蔵庫はあっさりと電機を使用したのか…違和感を感じます。
話は変わりますが、現在当たり前になっているルームエアコンは1935年に国産初の「空気調整機」として生産が開始され、1952年に室外機・室内機一体型モデルの本格的な量産がスタートしています。
つまり、「聴竹居」が竣工した1928年は、まだルームエアコンがこの世に存在していなかったのです。
藤井厚二が生きた時代に、もし現在のようにルームエアコンが普及していたら、藤井厚二はどうしていたでしょうか?それでも現在の姿のような「聴竹居」を設計していたでしょうか?
当時最先端で大変高価であった電気冷蔵庫を、わざわざ欧州から輸入してまで導入した藤井厚二です。きっと、ルームエアコンも率先して採用していたのではないでしょうか?
そうなると、現在「聴竹居」が高い評価を受けているポイントが色あせて見えるように感じるのです。
それが、僕のもった「聴竹居」に対して抱いた疑問。