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  • 執筆者の写真S.Ninomiya

書物としての建築


書物としての建築とは……つまり教会建築の事。

その昔、欧州においてキリスト教を広める為に文字が使われる事は少なく、絵画や彫刻で伝える方が効率が良かった。なぜなら識字率…文字を読み書きできる人…が少なかったからです。

近年でのデータになるが、幕末の頃の日本の就学率は70%~86%。就学すると最初に文字の読み書きを習うので、識字率は就学率と同等かそれ以上と想像できます。

この同時期のイギリスにおける就学率は大都市においても25%以下、フランスなどはもっと低く1.4%というのですから、如何に欧州の識字率が低かったか分かると思います。

そのような中でキリスト教が布教活動に活用したのが教会であり、教会に描かれるフレスコ画や彫刻だったわけです。それらの絵画や彫刻を見せながら、口頭での解説を加え教えを説いていたわけです。

つまり紙芝居みたいなもんです。

しかし、紙芝居といっても馬鹿にしているわけではありません。紙芝居に使われる絵も下手よりはうまい方が良いに決まっています。特に宗教のような神秘性を必要とされる紙芝居の場合、その表現力は卓越している方が信ぴょう性を増します。

その結果、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラフェエロのような宗教関連の芸術作品を数多く受注し、現代に残す多くの芸術家達が排出されてきたわけです。

では、現代においてはどうでしょうか。

昔に比べ識字率は格段に上がり、書物どころかインターネットの普及により超高度情報化社会と化している現代においては、もはやフレスコ画や彫刻による説明はそれほど重要視されません。

現代の建築家が設計する「教会」が、昔のそれに比べて実に「アッサリ」しているのはそのような理由に起因しているのではないかと思います。

もう、宗教建築においてフレスコ画や彫刻は不要な世の中となったわけです。

しかし、その昔に描かれたフレスコ画や彫刻そして建築そのものは、既にその役割を終えた現代においても人々から興味の対象となり、訪れる人々が絶えません。それはつまり、芸術としての魅力が宗教を超え人々に感動を与え続けているからなのだと思います。

 

サンピエトロ大聖堂/ヴァチカン市国



内部空間に溢れる芸術作品の数々。



 

ノートルダム寺院/パリ



 

サンタ・エウラリア大聖堂/バルセロナ



 

サグラダファミリア大聖堂/バルセロナ




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