新しく提案された新国立競技場について、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「デザインよりも中身がどういう仕様になっているか、求められていることができるかが大事」「外観だけならB案の方がいい」と述べています。記事はSANSPO.COMから。
これを聞いて非常に腹立たしいと思うとともに、悲しい気持ちになりました。
森氏のいう「中身」や「仕様」の定義が曖昧なのですが、発言の文脈上「デザイン」の対義語として使われている事から「デザイン以外の事」と仮に定義付けして解釈します。
Aグループによる提案(JSC資料より転載)
Bグループによる提案(JSC資料より転載)
森氏は「デザイン」は「中身」や「仕様」とは別と捉えているようですが、果たしてそうでしょうか。
「中身」や「仕様」が色濃く反映された結果が「外観」森氏のいうところの「デザイン」として表れてきます。つまり、「中身」や「仕様」は表裏一体。それぞれを分離して考える事なんて出来ません。
例えば、コストや大きさが問題点とされて白紙撤回されたザハ案ですが、ザハ案がなぜあれだけのコストになり巨大な建築となったのか?理由は簡単です。森氏のいうように「求められていることができる」ようにした結果、あのようなコストになり規模になったのです。
つまり「中身」や「仕様」を「求められた」通りに具現化した結果です。そしてそれが「デザイン」として目に見えるカタチとして表れます。
そんな事も分からない人が組織委員会のトップとして君臨している事。また、そのような浅い知識や認識の人が「外観だけならB案の方がいい」などと選考をアジテートするような発言をし、設計者の意図とはかけ離れたところで選考されていく事に対して、非常に腹立たしいと思うとともに、悲しい気持ちにさせるのでした。