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執筆者の写真S.Ninomiya

創造と模倣


世の中は模倣が横行していて、何かしらのヒット商品が生まれると、必ず他社が追従して良く似た技術の良く似た商品を売り出す。そして、後から後から出てきたものは先のものより価格が安く設定されているのもその特徴。

模倣品の価格が安く設定されるのは、オリジナルと同等か高ければオリジナルにはかなわないから。また、オリジナル側が開発費などが価格に転嫁された設定になっているが、模倣品はその分の経費は不要なので、当然安い価格設定にする事が出来る。

家電の世界では日常茶飯事に行われている事で、日本の技術を模倣して繁栄したサムスンが、いまや中国に技術を模倣され、価格も安く設定されて窮地に追い込まれている。因果応報というか、まさに起こるべくして起こっている状況。

ところで、なぜこのような状況になるのか?答えは簡単、創造的ではなく模倣的だから。独自の思想や切り口を持って創造されたオリジナルな商品は、必ず強い独自性を持ち合わせている。そして、それはブレない。模倣品にはない輝きがある。 例えば、先日中国での転売騒ぎで話題になったApple社のiPhone6。これがサムスンのGALAXYで同じ現象が起こり得たかと考えると、まず有り得ない。模倣品にそこまでの輝きは無いからだ。 しかし、世の中にはあまりにも模倣され過ぎて、いまや何がオリジナルか分からなくなってしまっているものもある。例えば、ジーンズのオリジナルはリーバイスであるが、今やジーンズを生産するメーカーは山ほどあるし、マニア以外の一般的な消費者からすれば、リーバイスがオリジナルである事などどうでも良い事だし、模倣品でも良いジーンズは沢山ある。しかし、それでもオリジナルであるリーバイスには、気のせいかもしないが何故か惹かれる輝きを感じる。 この創造と模倣の関係は建築の世界にもある。ただ、建築の場合は何が創造的で何が模倣なのか、その線引きは曖昧。例えば、柱と梁で構成された構造体の上に三角屋根が乗るというアイコン的建築を模倣品だと言い切るには無理がある。建築を構成する要素として、あまりにも普遍的で不可欠な要素が多いからだ。 しかし、模倣品である事が明白な建築もある。例えば、流行りのデザイン(と勝手に建売屋さんが認識した)で表面をペロっと触っただけの建売住宅。そもそも、建築は表面に現れる仕上げ材だけではその本質は変えられないが、建売住宅のプランはどれも似たり寄ったりの上に、ここ数十年全く変化していないので、いくら表面だけを流行りのデザインに仕立て上げたところで残念なチープさしか醸し出さない。 厄介なのは、上手に模倣されている模倣品である。雑誌やネットなどを何気に閲覧していると、てっきり建築家の〇〇さんの設計と思いきや、違う建築家や、建築家モドキの自称設計集団(?)の設計だったりする。多分、実際の建築を見ると、ディテールや体感する空間の質などから、明らかに違いが分かるのであろうが、写真で伝わる情報量ではそこまで見抜けないのである。これは本物と見まがうようなブランド物をコピーしたバッグがあるのに似ている。 そして、最も残念なのは、一般の方がこの模倣品に騙されてしまい、何がオリジナルなのか分からないまま、価格の安さに惹かれてまがい物の模倣品に手を伸ばしてしまう事である。最初にも書いたが、模倣品は必ずオリジナルよりも安いのである。そして、模倣品はオリジナルの劣化版に過ぎない。 ものづくりの精神は、模倣品の劣化版をつくる事では無い。独創的なものをつくる事だと思う。僕たちの設計する建築は独創的でありたいと思う。

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