今年はレオナルド・ダ・ヴィンチが没して500年にあたる年だそうで、いろんな美術館でレオナルド推しの企画展が催されているようです。
2018年に訪れた時はなぜかクローズしていたイタリア/ミラノのスフォルツェスコ城のレオナルドによる天井画の間が、今年2019年に訪れた時にはリニューアルオープンしていて、なんどレオナルドの描いた天井がに流行りのプロジェクションマッピングを重ね合わせ、ナレーションも付け加えるという豪華版で復活していました。
スフォルツェスコ城の中庭。
レオナルドといえば「万能人」というキャッチフレーズが語る通り、メインの芸術活動となる絵画以外にも、建築や軍事や音楽、イベントなどのプロデュースも行い今の言い方で言うととマルチなアーティストとして活躍したと伝えられています。当時の芸術家の活動範囲は幅広かったので、メインの芸術活動以外に手を伸ばす芸術家は沢山いました。例えば、ミケランジェロ・ブオナローティなども、メインの芸術活動を彫刻と捉えていたにも関わらず、建築や絵画にも活動範囲を広げています。でも、レオナルドのそれは特に広範囲にわたり、それが「万能人」と言われる所以でもあります。
スフォルツェスコ城に残されたレオナルドのオリジナルの天井が。既に色褪せ、小汚い印象。
プロジェクトマッピングが施された天井画。写真のものは暗いトーンだが、オリジナルの色彩を再現したであろう色鮮やかなものなど、様々なパターンがマッピングされる。
他の部屋では、レオナルドと弟子に扮した俳優が演じた3D映像により、レオナルドの作品に秘められた逸話を解説していた。
しかし、レオナルドの人生を知れば知るほど、本当に「万能人」だったのかと疑問に思うのです。
レオナルドの人生は、当時のライバル達と比べると結構不遇で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったラファエロ・サンティーなどと比べるとギャラも1/10ほど。評価は高かったものの、実際仕事に恵まれていたとは言えず、完成にまで至った作品も実は少ない。最後は政治的な絡みもあり、フランスに渡りそこで生涯を終えています。
きっと、本当は故郷のヴィンチ村に戻りたかったのではないかと思うのです。
軍事やイベントの企画に手を出していたのも、メインの絵画だけでは食べていけなかったので仕方なく手を出したのではないかと…僕は思っています。何事にも器用な才能に恵まれていたので、何れの分野でも「そこそこ」の業績は残せたようですが、後世に残っている業績は少なく、残っている業績と言える解剖画も間違いが多い事が指摘されているし、軍事関連の発明も実用化には程遠い事が証明されています。
レオナルドは「万能の天才」などではなく、「不遇の天才」といった方が正しいのかもしれません。
そして、「不遇の天才」だったからこそ、後世に至っても人々に愛されているのだと思うのです。